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槙島聖護の「紙の本を買いなよ(読みなよ)」を考える

はじめに

 電子技術の発達により、いまや当たり前のようになってきた電子書籍。
 これまでにもさんざん電子/物理の書籍媒体が議論の対象にされてきました。
 僕はkindleで1日平均4時間以上は読書を嗜むので、電子書籍の便利さを実感している一方、やはり紙の本は良いというオールドタイプでもあります。

 ところで、この論争において紙(物理)派の論客として有名なアニメキャラクターがいます。
 そう。我らが槙島聖護先輩です。(100年後の人物なので、ある意味後輩かもしれませんが)

 槙島聖護は凶悪な犯罪者でありながら、その知性とカリスマで我々を魅了してやまないキャラクター。
 そんな槙島先輩は、PSYCHO-PASS第1期15話「硫黄降る街」において、紙の本に対する持論を展開しています。

 先述したように、PSYCHO-PASSの舞台は100年後の日本という設定です。(第1期開始時点で2112年11月)
 どう考えても超デジタルネイティブ世代ともいうべき槙島先輩が、なぜ紙の本を推しているのか。

 今回は、槙島聖護の「紙の本を買いなよ」を題材に、紙の本の優位性について考えていきたいと思います。

「身体性」の優位

 PSYCHO-PASS第1期15話「硫黄降る街」のワンシーンで、槙島は仲間?のチェ・グソンに対して、紙の本を勧めています。(ストーリー原案・脚本の虚淵氏によると、「槙島にとってチェグソンはお気に入りの文房具のような存在」だとか)

 実際のセリフは以下の通り

紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。

調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。
何故そうなのか考える。

精神的な調律、チューニングみたいなものかな。
調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。

 まずは槙島のセリフを直接解釈していきましょう。

 ここで彼が提起しているのは、「身体性」についての問題だと思います。

 「身体性」は、昔から学哲などの分野で槍玉に上げられてきたテーマです。
 認知科学では、人間の認識は人間自身の身体をもとにした経験・知識の蓄積の上に成り立っていると考えます。
 難しい言い方をしましたが、つまり人間は本質的に身体を通さなければ真の経験・理解が生まれないのではないかという議論です。

 この「身体性」は特に技術の進歩に伴って(新しい技術が登場するたびに)俎上に載せられ、大きな議論を巻き起こしてきました。

 ひとつ例を挙げてみましょう。

 ここに2つの絵があるとします。

 ひとつは、手書きで描かれた絵
 もうひとつは、ペイントソフトで描かれた絵

 さて、どちらのほうが価値が高いでしょうか?

 もちろん、絵の性質や描いた人が誰かによって変わるでしょう。
 では、この絵を描いたのが世界的な画家だったとしたらどうでしょうか?

 世界的な画家が手書きで描いた絵
 世界的な画家がペイントソフトで描いた絵

 さて、どちらのほうが価値が高いでしょうか?
 人によっては、前者のほうがコストがかかっているいるから比較は不公平だ、と言うかもしれません。

 では、こういう条件だったらどうでしょうか?

 世界的な画家が10分でコピー用紙に描いた絵
 世界的な画家がペイントソフトを使い、半年かけて描いた絵

 作者という条件は同じであり、コストの問題だけだとしたら、合理的に考えれば後者のほうが価値が高くなるでしょう。
 しかし、前者に高い価値を認める人は少なくないと思いませんか?

 これはなぜなのでしょうか。
 ここで答えが出せるような問題ではありませんが、我々人間にとって「身体性」の有無がいかに重要か考えさせられます。

 槙島の持論に戻るなら、彼は「『直接』触れて読む」ということに身体性としての優位を見出しているということでしょう。

瞑想のツールとして

 槙島のセリフを見ると、彼は単純な読書という目的で紙の本をめくっているわけではないことがわかります。
 彼のセリフにもあるように、槙島にとって紙の本をめくることは「精神的な調律、チューニング」なのです。
 これは読書というより、むしろ瞑想に近いと思われます。

 瞑想というと胡散臭く聞こえるかもしれませんが、実は瞑想については数々の科学的な分析がされており、現在その効果は実証されているものなのです。
 ここでいう瞑想は宗教的なものとは一切関係なく、「内省」に近いものです。

 「心の中をからっぽにして、現在の自分の状況を客観視する」という内省的な瞑想は、マインドフルネスとも呼ばれ、精神の安定化に有効だとされています。

 再び、槙島のセリフを見てみましょう。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。

調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。

調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。
何故そうなのか考える。

 これは、まさにマインドフルネス瞑想といえるでしょう。
 槙島の冷静さは、この内省的な読書の時間に裏打ちされたものなのかもしれません。

持続性の優位

 次は少し視点を変えて、槙島が言う紙の本の優位性について考えてみたいと思います。
 それは、持続性・保存性という観点です。

 電子書籍派の中には、「紙の本は経年劣化するけど、電子書籍は劣化しない」という理由で電子書籍を優位だと述べている人がいます。
たしかに本としての劣化ということでは、電子書籍のほうが有利かもしれません。
 しかし、情報としての持続性・保存性ということではどうでしょうか?

 以下は、情報媒体の想定寿命の比較です。

  • 石板・金属板 6000年以上
  • 粘土板 5000年以上
  • パピルス紙 2300年以上
  • マイクロフィルム 100年
  • 洋紙(酸性紙) 50年
  • 光磁気ディスク 50年
  • 光学ディスク 10~30年
  • フラッシュメモリ 5~10年

 一部極端な例もありますが、紙というのは意外にも情報の保存媒体としては非常に持続性の高いものです。
 電子メディア・メモリに保存するよりは消失の危険性が少ないと言えます。

 とはいえ、こんなことを言うと「いやいや、kindleはクラウドでバックアップとってあるから大丈夫」と言われるかもしれません。

 ここでの本題は、むしろこの点です。

 PSYCHO-PASSは、近未来ディストピア作品です。
 あまり知られていませんが、あの世界では歴史の授業がないことが設定資料集などでは公開されています。
 また、電子書籍も反体制的なものには検閲が入り、過激なものは次々に抹消されているという設定もあります。

 つまり、あの世界で自由な読書を楽しもうと考えたら、紙の本に行きつくのは当然の帰結かもしれません。
 抹消される前のデータを個人的な物理メディアに保存するよりも、紙の本の方が保存性に長けているわけですしね。

 これはPSYCHO-PASS世界だからこそでもありますが、あながち現実でも起こりかねない事態です。
 例えば、使っている電子書籍のサービスが終了したらどうでしょうか?
 自分の端末情報(購入した電子書籍の情報)がサーバー側の問題で消失してしまったら?
 Amazonの意向にそぐわない書籍は抹消されるとしたら?(実際、Amazonが許可しない本は電子化されないということは十分起こりうると思います)

 電子書籍は、この先社会が変化していけば、新たな言論規制の対象として、まっさきに弾圧される恐れがあります。
 しかも、その判断を握っているのは、あくまで一企業です。(kindleの場合、「国外の」一企業でもある)
 こう考えると、SFで描かれるようなディストピアは、すぐさま起こってもおかしくないかもしれませんね……

おわりに

 さて、あれこれと思うがままに書いていったら随分と長くなってしまいました。
 本当は槙島が原書を読む理由についても書きたかったのですが、それはまた別の記事ということで。

 PSYCHO-PASSは考察のしがいがあるので、これからもちょくちょく投稿していきたいと思います。

 それでは!

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